瀟洒、典雅

日々思ったこととか、学んだことをアウトプットしていく

恩を返しながら生きていきたい

自分の人生を何に使うか。

これからどうやっていきていこうか。

 

私は今日まで生きてきて、恩を受けすぎてしまった。22歳にして、一生かかっても返しきれないほどの恩を、家族や周りの人や社会やそのほか色々なものから受けすぎた。

 

これはえらいことである。

これから、一生をかけてたくさんの人に恩を返して行かなくてはいけない。

そうでなくては気が済まない。このまま、何もできずに、例えば明日死んでしまったとしたら、死んでも死に切れない。おそらく執念で復活するであろう。

 

自分のためではなく、誰かのために生きていきたい。それが自分の幸せであると、そう思いたい。

尊敬している人に、その旨を伝えたいというのは傲慢なのか

 

表題の通りである。

もし私が尊敬してます、とか言われたら素直に嬉しい。

ひとによって、コイツ本気で言ってるのかしらん、と思うこともあるかもしれないが。

 

しかし、相手への尊敬を含む好意とか、あなたみたいになりたいっていうのは、一方的にこちらが思っていることだ。

伝えたいと思うのは、傲慢というか、単なる自己満足というか、伝えたところで何やねんというか、相手にとっては別にオマエに尊敬されてもね。ってなこともあるかもしれんのである。

 

つくづく、人との関係ってシンプルなようで難しい。

感謝を伝えたい

この間大学を卒業し、3年間働いたインターン先を退職することとなった。

 

寂しくてしょうがない。

いままでの人生で、何か新しいステップのためにある場所を去ることについて、ワクワクするとは思っても、寂しいと思ったことはなかった。

 

なぜ、こんなにも寂しいのか。

何より、職場の人たちのことが好きだ。すごくお世話になった。返しきれないほどの恩がある。

 

なぜそうおもうのか。

色々と任せてくれた。自由にさせてくれた。

その中で、学べたことが沢山あった。

 

おそらく、ここにきていなかったら人生の醍醐味?いちばん美味しいところをみすみす逃してしまっていたと思う。

具体的には、同じ思いを持った人たちと何かを成し遂げることや、脳から汗が出るほど何かについて悩み考えること。

達成した時の喜びや、その他エトセトラである。

 

ほんとうによかった。あの時、今のこの道を選択した自分を褒めたい。

深みのある人間とは

何かについて深く語れる人間になるには。

何かについて、独特の切り口で、深く語れる。

しかも、付け焼刃のような知識ではなく、すべての事柄に一貫してその芯を貫けるようなそんな人間になりたいと思う。

おカネは天から降ってこないという発想

私の家は農家なので、親はずっと家で働いていた。
畑を耕して作物を育てる。牛や鶏に餌をやる。
そうやってはたらく両親を小さなころからずっと見てきて、時には泥にまみれて手伝いもした。
おカネは、泥と汗と牛糞のにおいがするものだ。命を切り刻んで、はたらいて、初めて得られるものだということを事実として理解する前に、本能で感じ取っていた。
 
印象に残っているのは、牛の思い出である。
家に牛舎があって、牛がたくさんいた。
牛は産まれてたった1時間で立つ。そして、1か月で親から引き離される。
そして健康な牛は、トラックに乗って競り市に連れていかれるのだ。そこでどこかに売られ、肉となる。
かわいそうなのは、親牛から引き離された晩、子牛が悲しくて涙を流しながら泣いている声をきくときだ。
牛は、悲しいという感情をもっていて、涙を流すのだ。人と同じである。
 
当たり前だが、何かしらの価値を生まなければおカネを手に入れることは出来ない。
生きていくためには。
 

最近泣きたくなったのは

 

映画を観た時

 

アイアムサムの、サムがダコタファニングに「こんなパパでゴメン」って言った時。それに対するダコタファニングの答え。

 

あのトムハンクスが出てる、無実の囚人が死刑になる映画の、死刑囚が初めて映画を観た時。

 

 博士と彼女のセオリーの最後らへん。

 

ライフイズビューティフルのお父さんが死ぬ所。

ニューシネマパラダイス

ワンデイ

坂道のアポロン

 

あと多分他にもあったけど、今思い出せるのはこれくらい。

 

リアルでは。

 

中学のとき、一回だけ。

高校では、もう少し3回くらい?嬉しいのと悲しいのと半分くらい。

 

そして大学に入って母の苦悩をきいたとき。

 

ある、どうしようもなく孤独なよる。

 

それからさっき、この2年間を振り返って、感謝と懐かしさが溢れたとき。 

 

近年、嬉しくて泣く割合が増えたことに喜びを感じる。

嬉しくて、感動して泣くということを人生の中でどれだけできるか。

チャレンジしていきたい。

 

色々なことを、もっと大事にしたい

 

日常や、日々の些細なことを蔑ろにしたくないと思う。

もっと繊細に、いろいろ感じたいと思うし、何層にも重ねられた厚みのある自分になりたい。

色々なことを知って、知っているだけでなくその知識を自分の価値観の糧としたい。

薄い今のままでは嫌だ。

 

もっと、何もないと思える日常にも、必ず何かがあるはずなのだ。

感じたい、もっと。言葉をもちたい。

 

伝えたい事なんてなにもないと、思うことがよくある。何故か。

きっと、何にも心動かされたり、強烈な感情をもてていないからだ。普段から。

強烈な感情。

喜びや悲しみ、痛みやワクワクなど、もっと感じたい。感じられる感度が欲しい。

濃い時間を過ごしたいのだ。

日々なんとなく過ごしてしまいたくない。

いま、過ごしてしまっているのだ。

 

過ぎ去ってしまえば、あってもなくても同じだと思うような人生はいやだ。