瀟洒、典雅

日々思ったこととか、学んだことをアウトプットしていく

ウィトゲンシュタインとこども

ウィトゲンシュタインとこども

 

さっそく、今日考えたことを表明。

さいきん、哲学が私の中できている。

もともと、哲学に興味はあったのだがきっかけはこの記事。

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まさに哲学欲へのトリガーを引いた。このまま哲学を知らなければ、あらゆる物事の本質に迫れないまま、いろんなもののうわべだけをすする人生になるのだ、とそう思った。

そこで、ずっと前に読もうと思って購入していた哲学書を引っ張り出し、読んでいた。

 

<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス

<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス

 

 

面白い。ただ、理解できない部分もかなりあったので、もう一度読まねばと思っている。

今の時点で、本を読んで気付いたのは、

私は、もうとっくに哲学をしていたのだということ。

子供の頃に考えていた、自分は死んだらどこへ行くのか、なぜ自分は自分なのか、とか、世界は自分のためだけに用意さえた映画なんじゃないかとか、50億年後に太陽が爆発して、地球が壊れたら幽霊は宇宙を漂うんだろうか。とか。

あと、時間。時間はいつからあったのだろうか、とか、地球や人間や空気が消えても、時間だけは残り続けるんだろうな、とか。

これらの疑問?妄想は、粗削りだけども哲学だったのだ。哲学とは思っていたよりも自由であった。

そして、本の中に出てきたウィトゲンシュタイン。言語批判というのが有名らしい。

まだ、言語批判というものをざっくりとしか調べていないが…思ったこと。

ことばは万能じゃない。ことばで表現しようとすることで、消えてしまうものが確実にある。

例えば、愛の気持ちとか、美しい朝焼けとか、おいしい食べ物とか。もったいないと思う。何か形にして残したい。後で思い出せるように。

いちばん適当な手段としてことばを選ぶけれど、それでも足りないんだよな。

まあ、それはそれとして。

もっと言葉を上手く使えるようになりたい。

そえから、哲学書はあと4~5冊は読もうと思う。