生きる意味とか、チキンのトマト煮込みのこと
昨日下宿先から実家に帰ってきたのだけれど。
夕食にチキンのトマト煮込みを作った。ご飯を自分で作るのは久しぶりだ。
独り暮らしをしていると、ついつい外食やコンビニになってしまう。それに、一人暮らしの家のキッチンなんて味気なさ過ぎて料理をする気になんてなれない。
キッチンとは、もっとごちゃごちゃしていて、生きている臭いがしなくては。そうでなければキッチンではない。
久しぶりに家族と一緒に夕食をとった。
そこで、やっぱりご飯を食べるのは生命をつなぐためではなくて。
生きるためにご飯を食べるのかもしれないと思った。
こだわりの食材を準備して、夕暮れ時に調理をして、家族がそろうタイミングに合わせて、お茶を沸かしたり、ご飯をよそったりする。
それは、手紙を書いたり詩を読んだりすることよりも神聖な行為だ。そして、家族といっしょにご飯を食べるという。
きっと私は、このために生きている。
仕事を頑張ったり、尊敬する人に認められたり、そういうことをしているのは
幸せなこの時間を得るためだ。
ちょっとエッセイみたいな中身のまったくない文章を書いてみたかった今日だった。