二十歳を過ぎたら、親の前で泣くんじゃない
昔から、あまり泣かない子どもだったと思う。
物心ついてから、あまりひどく泣いた記憶はない。
感情に振り回されるのが面倒くさかったのだと思う。
誰かを好きになって振られたり、一生懸命頑張って失敗したり、そういうこと全部、面倒くさい。
そうやって省エネで生きてきた。
けれど最近、思わず泣いてしまったことが4、5回あった。
もう社会は私を許してはくれない。
そして、親にはもう頼れないなと思う。
私は私の辛さや苦しみを、自分の中で完結させなくてはいけない。
設問とそれに対するアプローチについて④
なぜ旅に出たくなるのか?
見たことのないものを見たいから、価値観を覆されたいから、美味しいものを食べたいから、リュックひとつだけ背負って自分の足で歩いて、自由だと、実感したいから、全ての情報を遮断して、ゆっくりと考えたいから、私のことを誰も知らない場所に行きたいから、周りに強いと思われたいから。
終わりのある自由が欲しいと思う。
本来、人は自由なはずなのだ。
何かしてもいいし何もしなくても良い。
仕事をしたくないのであれば、しなければいい。
でも元来人は制約を求めるのだと思う。
自由はあまりに残酷で、明日から仕事だから早めに切り上げなきゃ、とか誰かの結婚式だから、わざわざ遠方の地元まで帰らなきゃ、とか今日も夕飯を食べなきゃ何にしようかな、とか。
何もしないには暇だから、普段は制約でがちがちに固めて、時折それらを全部解きたくなるんだろう。
お得感の正体
複数の目的をそれ一個で達成できる。
というのは大きいなと思う。
例えば、服だとオールインワンとかワンピースであれば多少単価が高くても買ってしまったりする。
本来二つのところを、一枚でコーディネートが成り立つから。
化粧品であれば、今日電車で見たDHCのクレンジングとスキンケアが一緒にできるクレンジングウォーターが心に深く刺さった。
Kindleは、辞書の代わりにもなるから買ったしこの間買った4,000円くらいのヘア用オイルは、全身にも使えるんですよ〜という美容師さんの一言が刺さった。
顔用の化粧パックは、なんとパックが終わったらお風呂に溶かして入浴剤にもなる。
リバーシブルとか2wayとかも大好きだし、洋画を観るのは、楽しいし英語も勉強できる。
お得感とはそんな感じ。
偉い人ギャグ問題
普通のギャグに偉い人を掛け合わせるだけで、自然と2.5倍くらいになるの、ずるいよなあと思う。
偉い人がちょっも面白い事を言うと、みんな気を遣ってるし、すごく面白く感じる。
あれも緊張と緩和の一種なんだろう。
自分をまだ25歳だと思っているとあの人は言っていた
私はいま23歳である。
今を精一杯生きて、後悔のないように生活しなくてはいけないんだよなと思う。
けれど、絶対に30歳になったら後悔するんだろうな。だって、見えているものが全く違うんだから。
今だって、私は16歳の私を後悔している。
あのとき、もっと勉強すればよかったなと思うし、もっと世界の名作の映画や本や音楽を聞いておけばよかった。
頑張る癖を身に着けておけばよかったなと思う。
今だから、わかる。
あのときは、それなりに毎日頑張って生きてたんだ。
頑張らない日もあったけれど、毎日それなりに生きていた。
1年立つごとに、昨年の私から成長できていないなあと思うけれど、
きっと見える世界が前よりももっともっと広くなっているから、だから自分に足りないところや、もっと頑張らなくてはいけないこと、そういったものがたくさん見え始めたんだと思う。
設問とそれに対するアプローチについて③
機会損失について
昔、Twitterを見ていてたまたま見つけたバイトに応募して、それが結果的にすごく良い経験になったということがあったのだが、もしあのときあのツイートを見ていなかったら、と考えたらぞっとした。
ほんとうにたまたま見たからで、自分で意図したわけでも、なんでもない。
こういうことって、人生のなかで数えきれないほと起こっているのではないかと思う。例えば、今日、家で一日ゴロゴロするのではなく、外に出ていたら、たまたま誰かと運命的な出会いをして人生が180度変わっていたのかもしれない。確かなものなんてひとつもない。