瀟洒、典雅

日々思ったこととか、学んだことをアウトプットしていく

雑感

最近、急を要することがあって別れについて考えている。

ある人との別れが数ヶ月後にくることが確定してしまい、そのことについて考えると辛くなるので、反対にそのことについて考えてみようという試みである。

 

たぶん、誰かとの別れについて、そのことが悲しいと思える理由はいくつかあってそれらが複雑に絡み合っている。

 

例えば単純にその人が、その人と過ごす時間が好きでそれを失うことが耐えられない。

または、その人と一緒にいる自分が好きで、その自分が失われてしまうことが悲しい。

いま自分がそこにいることや、生きていることをその人に依存していて、それが失われてしまうことが悲しいんだということ。

 

思えば私は、ここ最近ずっと自分が生きている意味合いや理由を身近な誰かに依存して生きてきた。

その誰かが、私がその場所にいる理由になっていた。

たぶん、それが不在だった高校大学の数年間は、拠り所がなかったから、なんとなくフワフワとして、時々死にたくなったりとか、していたんだと思う。

 

そして依存先がある時、例えばその依存先が失われると分かった瞬間から、実際に失われるまでの期間で何度もひとりで別れの練習をしていた。

その人との別れをシミュレーションして、少しだけ傷ついて、そして少しずつ慣れていった。

 

別れる頃には、割とその人がいなくても生きられる自分になっていた。

だから、悲しみで立ち上がれなくなったりはあんまり、しなかったように思う。

 

いま、きっとその期間なんだ。

彼らがいなくなることを考えると悲しい。これはたぶん自己防衛で、わたしはひとりで別れの練習をしている。