アンテナを張るためには
筋トレみたいなものだ。できればやりたくない、ちょっと痛いな、と思うような頭の部位を使う。
感受性をたかめる?というのだろうか、
色々なものから何かを感じ取ってそれに対する考えを深めていくためにはどうすればいいのか。
私は普段、道を歩いていて、目に映る色々なものに意識を向けたり、心揺さぶられたりはしない。
でも、あの人はそれを100でやっているんだろうな。
考えることや、未知のものに対する好奇心、そして、他者への尊敬やそういうものを常に言語化しているからああなんだろうな。
私もあんな風になりたいな。
設問とそれに対するアプローチについて②
妬み嫉みのこと
カワイイ女の子や、可愛くてかしこい女の子、そんな子を見ると心が弱っている時ついつい嫉妬してしまう。
調子良い時は別にまったくそんなことないんだけどなあ、カワイイ女の子は好きだし、見てたいし、私だって、違った魅力があるんだ!と思えたりする。
けれど、心が弱って、頭痛がして、忙しくて栄養も足りてなかったりするとだめだ。
なんだろう。自分に自信がない時、結構身体的なコンディションも影響している気がする。
そんな時は頭の回転も鈍っているから、何も考えられなくてそれで悲しくなって、あーやっぱり自分はだめなんだなと思って、残った私の強みはこの生身の身体だけだと思って、じゃあ何もない私の姿かたち、何も無いに耐えうるほど素敵なのか、いやあそんなことはないからやっぱりそれなりの付加価値を付けなくちゃならない、あー、めんどくさい。
だって付加価値を付けるためには仕事で成果を残したり、そのために嫌な取引先の人と電話で話したり、社内の人に良い顔したり、そんな面倒くさいことをたくさんしなくてはいけない。いや、心が元気なときは良いんだけど、いつでもそんなわけじゃない、現に今、心は疲れ切って目は腫れて、涙が溢れそう。頭がずっと痛くて、ちゃんとベッドで寝ていないから身体は重くて、あー、明日の朝は9時に渋谷まで行かなくちゃいけない。
しんどい。気分を上げるために音楽、例えばクイーンとかを聞いてみたりするけれど、いつも思うんだけど音楽ってプラスをプラスにすることはできるけど、マイナスからプラスにするのは無理だよなと思う。
音楽は、元気のない人を元気付けるためのものではない、元気な人をもっと元気にするためのものだと昔中学の時の音楽教師が言っていて、そんなもの?そんなの聞き手が決めることじゃないか、べつに元気がない時に音楽を聞いても良いし、私は中学のとき友達のお兄ちゃんにウォークマンに入れてもらったBUMP OF CHICKENのever lasting lieを心が疲れた時に聞いて落ち着いていたのになあ。
でも今ならあの時あの人が言っていたことが分かる。音楽は元気ない時何にもならない。
そもそも音楽を聞こうという気持ちにならないから。なにかを楽しんだり、喜んだらするのはめちゃくちゃ体力を使うのだ、だから、ほんとうに心が疲れたときや忙しい時は、なにもせずに目を瞑るしかないのだ。
設問とそれに対するアプローチについて①
面白い話とは何だろうか
最近読んだ本で、心揺さぶられたのは?
すべてが自動化されて、人が働かなくてもよくなったら?スーパーや安いホテルなどのサービス業や、営業職やタクシーの運転や介護も?
ほんとに人がやるべき仕事ってなんだろう?
人は、モチベーションのためにいるの?
この人と仕事がしたい、この人に好かれたいとか、そういう気持ちで仕事をすることだってある。
アーティストは残るだろうか?歌ったり、絵を描いたりするのはaiにはできない。できるかもしれない?でも結局アーティストは人間だから魅力的なのであって、やっぱり最後そこが残るんだろうなー人間でないと意味をなさないもの。何の迷いもなく心から楽しいと思えることをもっていたら強いのかも。
希望
むかし、ルミネだかゼクシィだったかが広告で
「一人でも生きていける二人が、一緒に生きていくことでより面白く」みたいなニュアンスのキャッチコピーを掲げていたのがすごく印象に残っていて、
きょうび人は誰しも一人で生きることくらい出来
る、
それでも他者と近い距離で生きることで、自分一人では気付けなかったことに気付いたり、
行こうとも思わなかった所へ行ったり、
乗り越えるのがしんどいことを乗り越えたり、
そんな事ができるから共に生き抜いていくパートナーを見つけるのだと思います。
私は今まで、一人で行ける場所には行ってきたし、一人で出来る事は結構やってきたと思います。
一人で自由に生きるのは、それはそれで楽しいけれど、
誰かといるからこその人生の深さや幅の広がりであったり、逆に制約も感じてみたいし、
そんな発想があったんだ、という衝撃や、
違う人生を生きてきたからこその価値観の違いを面白がりたいと思っています。
深夜特急
バンコクから、タイの外れにあるノンカイという小さな街まで列車で行こうと思った。
沢木耕太郎の深夜特急を、10代の頃夢中で読んでいた。そして、酔ってしまった。
ヨーロッパやアジアを一人で旅した。
今回は5回目の一人旅だった。
バンコクの外れにある、教会のような駅に入ると大広間におびただしい人が列車を待っていた。
人一人分くらいの荷物を持っている家族や、浮浪者のような人や、観光客。シャワーを済ませて、楽なワンピースに着替えた。
身軽だった。3枚くらいの麻の服だけを持って、暑い国をずっと旅していたい。
好きな時に起きて、好きなところへ行って、道端の屋台で味の濃い料理と香草の沢山の入った麺料理を食べたい。
でも、この旅行にはタイムリミットがある。
それでも良かった。
列車が出発する30分前に列車に乗り込んだ。
三等車の環境は劣悪だった。
四人がけの席で、向かいには貧しそうな大家族が座っていた。隣にはオレンジ色の袈裟を着た僧侶。
どんな貧しそうな見た目でも、最新のスマートフォンをみんな持っていたのは、へんな感じがした。
ここから14時間。
永遠のような時間であった。
明け方、朝焼けが美しかった。
窓の外を見ながら、イギリスで乗った列車のことを思い出していた。あの時、道に迷ってロンドンからは遠く離れた田舎町に迷い込んでしまったのだけど、桃源郷のように美しくて、そこだけ時が止まってしまっているみたいだった。現実だったかは未だに分からない。
目的地があるというのは良い。
徐々に明るくなってくると、駅に止まるたび
物売りが列車の中に入ってきた。
鶏をタレで味付けした丸焼きみたいなのが、たった100円くらいで売られていてとてと美味しそうだった。貧しそうなおじさんから飲み物だけ買って、
2時間遅れでついたノンカイの駅に降りた。
むかしの恋を
自分は、こっちの方が好きです。
とほんの少しだけ私より背の高い彼は小さな声で言った。男性にしては小柄で、細身で一重まぶたで、色白な年下のこの子は、昔好きだった人にとてもよく似ていた。
でも、あの人よりは少し自信なさげで、シャイで物静かだった。
ちょっと掠れた、ハスキーな声も、あの時を思い出させた。
色付く
東京の夜は、狭いから煙草の煙を吸ってはくれない。
吐いた煙が、跳ね返って髪や目やくちびるにぶつかった。
喧騒の中でただただ一人だった。
泣いたり、憤ったり、喜んだり、感動することを忘れていた。
毎日ただ時が流れるのを見て、色々な気持ちをしまって、ただ見ないようにしていた。
やっと色付いてきた。
これからだ。