やさしさとは
例えば、目の前の死にそうな人を助けたら、自分も死ぬかもしれない。
そんなとき、どうするだろうか。
考える前に体が動くか、それともどうすれば良いか分からなくて固まってしまうだろうか。
仮に、命をかけて助けたられたとする。
その人はみんなから喝采を浴び、栄誉を手にするだろう。
しかしその人はそんなもののために命を懸けたのではないのかもしれない。
100%、誰かのために何かをすることはできるのだろうか。
それは無理なんじゃないかと思う。
命をかけて目の前の死にそうな人を助けた彼も、その人を助けたいという衝動にも似た気持ちと、目の前の人を見捨ててこのまま生きていくことの胸糞悪さというか、後悔とか、そういったものを感じたくないから、という気持ちも少なからずあったのではないかと思うのだ。
とどのつまり、自分のためだ。
自分が、自分に失望したくないから。みたいな。
それが悪いことだとは全然思っていなくて、なんというか、人間だったら当たり前のことじゃないかと思うのだ。
愛故に尽くすことさえも例外ではない。
その人のことが好きで好きでしょうがなくて、幸せになってほしい。だから誠心誠意尽くす。それは、純粋に愛する人のためを思っているのと同時に、自分のためでもあるのだ。
愛する人の幸せは自分の幸せでもあり、愛する人の痛みは自分の痛みでもあるからだ。
という、人はみんな結局利己的でしかないという話。
恩を返しながら生きていきたい
自分の人生を何に使うか。
これからどうやっていきていこうか。
私は今日まで生きてきて、恩を受けすぎてしまった。22歳にして、一生かかっても返しきれないほどの恩を、家族や周りの人や社会やそのほか色々なものから受けすぎた。
これはえらいことである。
これから、一生をかけてたくさんの人に恩を返して行かなくてはいけない。
そうでなくては気が済まない。このまま、何もできずに、例えば明日死んでしまったとしたら、死んでも死に切れない。おそらく執念で復活するであろう。
自分のためではなく、誰かのために生きていきたい。それが自分の幸せであると、そう思いたい。
尊敬している人に、その旨を伝えたいというのは傲慢なのか
表題の通りである。
もし私が尊敬してます、とか言われたら素直に嬉しい。
ひとによって、コイツ本気で言ってるのかしらん、と思うこともあるかもしれないが。
しかし、相手への尊敬を含む好意とか、あなたみたいになりたいっていうのは、一方的にこちらが思っていることだ。
伝えたいと思うのは、傲慢というか、単なる自己満足というか、伝えたところで何やねんというか、相手にとっては別にオマエに尊敬されてもね。ってなこともあるかもしれんのである。
つくづく、人との関係ってシンプルなようで難しい。
感謝を伝えたい
この間大学を卒業し、3年間働いたインターン先を退職することとなった。
寂しくてしょうがない。
いままでの人生で、何か新しいステップのためにある場所を去ることについて、ワクワクするとは思っても、寂しいと思ったことはなかった。
なぜ、こんなにも寂しいのか。
何より、職場の人たちのことが好きだ。すごくお世話になった。返しきれないほどの恩がある。
なぜそうおもうのか。
色々と任せてくれた。自由にさせてくれた。
その中で、学べたことが沢山あった。
おそらく、ここにきていなかったら人生の醍醐味?いちばん美味しいところをみすみす逃してしまっていたと思う。
具体的には、同じ思いを持った人たちと何かを成し遂げることや、脳から汗が出るほど何かについて悩み考えること。
達成した時の喜びや、その他エトセトラである。
ほんとうによかった。あの時、今のこの道を選択した自分を褒めたい。
深みのある人間とは
何かについて深く語れる人間になるには。
何かについて、独特の切り口で、深く語れる。
しかも、付け焼刃のような知識ではなく、すべての事柄に一貫してその芯を貫けるようなそんな人間になりたいと思う。
おカネは天から降ってこないという発想
最近泣きたくなったのは
映画を観た時
アイアムサムの、サムがダコタファニングに「こんなパパでゴメン」って言った時。それに対するダコタファニングの答え。
あのトムハンクスが出てる、無実の囚人が死刑になる映画の、死刑囚が初めて映画を観た時。
博士と彼女のセオリーの最後らへん。
ライフイズビューティフルのお父さんが死ぬ所。
ワンデイ
あと多分他にもあったけど、今思い出せるのはこれくらい。
リアルでは。
中学のとき、一回だけ。
高校では、もう少し3回くらい?嬉しいのと悲しいのと半分くらい。
そして大学に入って母の苦悩をきいたとき。
ある、どうしようもなく孤独なよる。
それからさっき、この2年間を振り返って、感謝と懐かしさが溢れたとき。
近年、嬉しくて泣く割合が増えたことに喜びを感じる。
嬉しくて、感動して泣くということを人生の中でどれだけできるか。
チャレンジしていきたい。