瀟洒、典雅

日々思ったこととか、学んだことをアウトプットしていく

最近気付いたこと

雑感。

私も矢面に立って戦いたいなあと思う。

色々やってみて、社内で考えるだけじゃ、分からないことが多すぎると思った。

何事も、実際に現場に行ってみて、自分でやってみて体感してみなくちゃ分からないと思った。

だから、初めて触れるものや、知らないものはまずは自分で触ってみる。

現場に行って話を聞く。使ってみる。

自分を渦中に置いてみなくてはいけないと思う。

そうやってしか、私にはわからないと思うから。

そして、やっぱり稼ぐ時も、何か新しいものを作る時も自分の足で行きたいのだ。

例えば自分の事業を作る時、そのためにカルチャーから変えていかなくては行けない時自分の手と足を使ってそれをやりたい。それを実感できる場所に身を置きたい。

とそう思った。

そして、働き方。

今、5つくらいのコミュニティに属しているけれど、それがとても良い。

本業含めて全部遊ぶような感覚で仕事が出来ている。

これは素晴らしいことであると思う。

毎日仕事しているといえば仕事しているし、休みだと思えば休みだ。

本業の割合をもう少し増やしたい気持ちはあるが、まあ一旦はこのまま進めていきたいと思う。

いろんなことをやっていきたいと思う。

やりたいこと、一つも諦めずに全部やりたい。

どこでも、どんな場所でも私としてやっていくために

そのためにどうすれば良いのだろうか。

思考力を鍛える。

世の中には知らない事がごまんとあるけれど、思考力のベースを身に付けてどんな事柄に対してもぐっと考えられるようになりたい。

そして、出来るならアートの観点を身に付けて、色んな事柄をアートの観点で切れるようになりたいな。

頑張らなくちゃ

停滞している時期

アドラーが、世の中の悩みはすべからく人間関係の悩みであると言っていた。

一時期これを否定していたけれど、今はこれは真であると思う。

どこまでいってもそうだ。

誰かに認められたい、誰かの役に立ちたい、誰かに好かれたい、誰かに嫌われたくない。

その誰かが常に変わってゆくだけで、自分がやっていることの先に自分以外の誰かがいることは変わらないし、そこから逃げることも出来ないのだ。

認めて、動いていくしかない。

対価

金というのは、つくづく依頼側の求めるレベルを定量化したものだと思う。

いま、無償でやっている仕事があるのだけど

どうしたって有償の仕事の方を優先してしまう。

無償の仕事も本気でやりたい気持ちはあるし、依頼主の役に立ちたいと思っているし、いるはいるんだけど無償だしそんなに時間使いたくないなと思う。

いくつか要因はある。

依頼されている内容にそこまで興味をもてなくて、依頼主との関係も薄い。

当事者意識が薄い。

などなど

違うタイミングで依頼された仕事を死ぬ気でやったのは、有償だったから、これちゃんとやらなきゃなと思っていたのもあるし、依頼主がめっちゃ好きだったしそういう、色んな要因。

仲間を集めて、モチベーションを維持しつつ会社とか組織を運営していくって難しいと思う。

ブルー

私は、たった一人で世の中を渡り歩いて行かなくてはいけないのだと気付いてしまった。

家族も、友達も、仕事も、永遠じゃない。

友達や仕事なんて、私自らバイバイした。

自ら突き放したのに、とても寂しい。

何も確かなものなんてないのだ。

永遠に続く人間関係なんてない。

どんな人間関係も、必ずどこかで終わりが来る。

失いたくないと、やっと思える人間関係をいくつかこの手に抱えてしまった。

彼らが好きだ。

大事にしたい。

永遠に続かないからこそ、大事にしたいと思う。

なぜ日本ではアートが一般消費に乗らないのか

芸術品?

絵画とか、彫刻とかそういうやつ。

部屋が狭くて飾る場所がないから?

アートに心を動かす時間的な余裕がないから?

テレビドラマとか映画とか、そういう、分かりやすく受動的に消費しやすいものしか売れない?

敷居が高い?

家でアートを楽しむ時間がない?

そもそも広めるキッカケがなかった?

→広まってる海外ではあった?

文化を創ることろからやらなくては

影響

母が保育士をやっていた頃、移動のたびに色紙をもらっているのをみて、いいなあ、人に感謝される仕事ってすてきだなあと思っていた。

母は、友達がとても多い。

優しくて、楽しいから多くの人に好かれるのだと思う。

そんな母みたいなひとになりたいと思う。