読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

備忘

日々思ったこととか、学んだことをアウトプットしていく

他人に興味がわかない時期

が定期的にやってくる。

というか、四六時中他人に興味津々な人間なんているのだろうか。

 

みんな、自分のことに精一杯で、例に漏れず私も自分のことに精一杯である。

相手によく思われたい、とかカワイイやつだと思われたい。面白いやつだと思われたい。

みたいな醜い思いばかりがドロドロと渦巻いている。

 

だから、誰かと話しているとき、そいつの話なんて半分しか聞いていない。

次に何を話そうか、どんな質問をしたら「あ、こいつ出来るやつだな」と思われるだろうか。こんなことを聞いたらバカだと思われないだろうか。

 

こんなのは嫌だな。何も自分がよく思われるためだけにその人と話しているわけではないのに。

 

どうすればいいだろうか。

一つ思いついたのだが、常に「目の前のこの人を楽しませよう」という意識をもてばいいんじゃなかろうか。

ただ、気をつけなくてはいけないのは「私と話していて楽しいと思ってもらう」のではなく、ただ純粋にそいつのハッピーを達成するために務めるということだ。

下心のあるコミュニケーションは常にバレる。

 

私はいらない。

こいつが楽しければそれでいいのだ。

 

というスタンスを大切にしたい。

ちょっと相手のことを意識すると、喉がキッとなって言葉が出てこなくなる病について

 

恋愛においての話である。

ちょっといいな、とかこの人すきだな、と気付いた途端急に喉がしまったように言葉が出てこなくなる。

グェッとまで言いそうになる。

 

まったく、しょうもない自分である。

コミュ力を上げたい、心から。

最前線

最前線で生きることができているだろうか。

ちょっと痛い、えぐられる、でも成長できる、そんな風に思いながら生きることができているだろうか。

 

人との関係も、仕事も、成長も、本気で向き合えばリスクが伴うし、無傷ではいられない。

小さなかすりきずや、時には深い切り傷さえも避けては通れない。

その傷がふさがって、かさぶたが出来た時初めて1ミリだけ成長できるのだ。

自分の中の面白い価値観の見つけ方

 

やはり他人と一段深く話す事である。

世間話をしていても、相手のことは何も分からない。

 

相手の価値観に無理やり触れ、えぐるような話を定期的にしなくてはいけない。

そもそももともとへ価値観などもっていないのだから、他人との会話ん通して価値観を形成していかなくてはいけないのだ。

これは嫌だ、これはすきだ。これについてはこう思う。

 

それらをきちんとしっくりくる言葉で言語化していくこと。

苦しみと前進

はてブで話題になっていたこの記事。

童貞を卒業してしまったら、精神年齢がストップするというところが面白かった。

 

これはかなりうなずける。

まだティーンエイジャーだった頃は、色々なことが不満で、不思議で、死にそうなほど悩んだりした。

自意識。

どうにもならないこと、例えばこれから生きていくことや死んでいくことへの絶望感。

 

池澤夏樹の本に、朝焼けと旅人という詩があった。内容は、ずっと「美しい朝焼け」を集めていた旅人がある日それまでに見たこともないくらい美しい朝焼けを見たことから、満足して朝焼けを見ることを辞めてしまうというものだ。

 

これと似たところがある。

 

模索することや、どうしようもないことで悩み苦しむことを辞めてしまうのだ。

それは辞めてもいいことなのかもしれない。

しかし、悩み苦しむことは魂を磨くことのようなものだと思うのだ。

 

童貞を過ぎ去ってからでは至れない境地に達することができる。

 

 

 

 

色んなモノを消費した感想

最近、引っ越しに伴ってたくさんのモノを消費した。

たくさんのサービスを利用した。

 

不動産屋、インターネット回線の代理店、楽天とかのECサイト、引っ越し比較サイト、ヤマト、佐川、電力会社とかのインフラ、、、

 

おカネの匂いがめっちゃするサービスと、そうでないサービス。

純粋に世の中や目の前の人の役に立ちたいと思っているサービス、そうでないサービス。

世の中には様々な商品やサービスがあるものだ。

 

中でもクソだと思ったのは、一部のインターネット回線の代理店である。

全ての代理店がそうだとは思わない。

しかし、不動産会社のアンケートを装って電話をかけてきたあの代理店はクソだった。詐欺である。

 

というか、今回電話がかかってくるまでそんな光回線業界の熾烈な競争を知らなかった。

 

私は、人生においてただ単にお金が稼げればいいとは思わない。

意味のある人生を送りたいと思う。世の中に0.1を足したい。

 

お金は必要な分だけもっていればいいから、好きな人のために、そしてそのついでに世の中の約にも立つようなことに人生を使っていきたい。

さみしくなりたい

きみの言い訳は最高の芸術というエッセイを読み返している。

 

さみしくなりたい。という章を読んで

 

わたしはどうなんだろう。

他人と、深い関係を築きたいのだろうか。

他人を自分の沼に引きずり込み、自分も他人の沼に溺れたいのだろうか。(この、沼に溺れる、という表現がしっくりくる)

否か。

 

答えは、溺れたい。

 

ずっとそうだった。

誰かと深い関係を築いて、痛みや苦しみや、ハッピーも、いろいろな強烈な感情を、その温度のままに共有したい。

目の前を通り過ぎてゆく、変なおじさんや、最近のニュースや、経済や、話題のwebサービスや、そんな話ではなくて。

もっと、それらに付随する、自分の価値観やその価値観の背景や、気持ちや、トラウマや、そんなことを話したいのだ。

 

ただ、それを実行するにはこわさももちろんある。

自分をさらけ出すのはこわいことだ。

いや、ちょっとちがう。

さらけ出すって何を。って話だ。

 

まだまだ、さらけ出すほどの中身がつまっていなくて、スカスカだということがバレるのがこわいのだ。きっとそうだ。

 

スカスカじゃなくなるためには、どうすればよいのか。ずっとチャレンジしている。