瀟洒、典雅

日々思ったこととか、学んだことをアウトプットしていく

6月のある日

その日、朝の8時に都内某所まで来るように指示されてひいひい言いながら7時前過ぎに起床した。

早起きは苦手だ。

急いで身支度をして、足早に家を出て

そして緑の葉から溢れる夏の日差しと、まだひんやりとした空気、しんとした風の中で久しぶりにきちんと息を吸った気がした。

呼吸をすることや、心臓をちゃんと動かずことをしばらく忘れていたことに気付いた。

 

はじめての一人暮らし

大学生の時、九州の片田舎から大阪へと出てきた。

特急が止まらない小さい駅を出て、踏切を渡り、急で高い坂を登った先のアパートだった。

坂の上にローカルなコンビニがあって、手作りのパンを売っていた。コンビニの傍の小道を行くとショートカットできた。

45リットルのスーツケースを抱えて、はじめてひとりで大阪に来て何もない暗い部屋で疲れて眠った。

すべて、ここから始まる。

ときめきを残しておきたい

午前0時。

3回目くらいに会ったその人と、たまたま最寄駅が同じだったのだけれど、一緒に帰っていた。

いかにもモテる人、例えば爽やかで、優しいけれど優しすぎなくて、見た目もかっこよくて、話が面白くて、頭が良くて、ノリが良くて、そんな人はきっと好きにならないだろうと思っていた。

そういった人は私の中で「モテる人」のカテゴリーにカテゴライズされて、何を話しても思った以上の回答は返ってこない、という固定観念があった。

し、そういった人は大体の場合歪んでいないのだ。

私は、挫折やどうしようもない諦めを経て、その人なりの歪みを抱えて生きている人に魅力を感じてしまう傾向がある。

でも、見た目のカッコよさとか爽やかさって、めちゃくちゃインパクトあるな。

さよならと言って、駅前で別れた後話した内容や歯並びの綺麗さを反芻していて、

改めて、あの人ってすごく素敵だよなと思った。

これがときめきなのか。

見えてきたもの

例えば、運動神経の差は結構一目瞭然である。

テニスの上手さもしかり。

最近、思考力や人間力についてもこの差が見えてきた。

同じ知識でも、アウトプットが全く違うのは

見えている範囲が違うからだと思う。

私と、Dさんはもっている知見と日々鍛えている思考力が全く違う。

私とAさんは、頭の回転の速さが違う。

コミュニケーション力、人を巻き込む力、人たらし力、可愛げ、根性、勢いすべてにおいて全敗である。

私は、この人が大好きだけど、この人がここにいるなら私はどんなに頑張っても二番手なのだろうな、という気持ちが消えなかった。

ここはそういう組織である。

でも、もう1つの組織なら、私はなにかの最前線に立てるかもしれない。

もちろん鍛えよう。筋トレしよう。

しかし、私のピースがどこかにカチッとはまるところがあるはず。

探している。

 

母が泣いた日

記憶に残っている、初めて母が泣いているのを見たのは大学一年の夏休みに実家に帰省していた時だった。

父は、大して働きもしなければ家事もしない人だったから母親は昔から苦労してきたに違いない。

幼い頃はそれが理解できなかったけれど、今なら母の苦労が分かって泣きそうになる。

母と二人で、将来の話をしていて、

ふと母が、これから沢山色んなことできるね、未来が沢山あるね、と呟き、

そこでどっと涙が溢れてきた。

母が今まで諦めてきたものや、叶えたかった夢や、

これからも続く代わり映えのない毎日が、一瞬で見えた。

ごめん、私は、あなたに何をしてあげられるかな。

もっと広い世界を見せてあげられるかな。

少しでも、この母が楽しく生きるために出来ることは全部やろうと誓った。

あなたが私に広く自由な未来をくれたように、

私もあなたに。

10代の頃になりたかったものたち

中学の時は、例に漏れず厨二病だったので

戦う王様になりたかった。小説の十二国記が好きで、どこかの国の王に急にスカウトされないかなと思っていた。

そして高校に行って、バンドマンになりたいなと思った。ライブをやりたい。

途中で、自分はアーティストにはなれないんだろうなと思った。だから、アーティストのプロデュースをする人になりたいと思った。

例えば、街角で路上ライブをやっているバンドをスカウトしたり、場末のライブハウスであついライブをしているバンドに声をかけたい。

君たち、いいね。うちでデビューしない?

20代前半のいま、やりたいこと、なりたい姿って何だろう?

数ヶ月前

数ヶ月前、仕事であんなに思いつめていたけど

これからはあそこまで思い詰めることはないと思う。

自分は代替可能な人間で、これからは自分ではなくチームが主体、何もないから0から作るのみ、仕事なんて自らが生み出した茶番であると、それに全身全霊をかけたいと思う一方で思っている。

価値観が近い人たちと働くことができるし、

仕事以外にも二つ、大切な人がいる場所が私にはある。それらは、逃げる場所としてではなく、

地に落ちた自信や自意識を取り戻す場所として機能していくだろう。